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翌日

2006年 木戸隆行
 日がのぼって、目が覚めて、トイレに入り、出て、アイスコーヒーを入れ、冷蔵庫からミルクを取り出して注ぐ。リビングに西日が差し込んでいる。コーヒーを口にしながらソファーに座ると、町に沈みかかる夕日が見えた。
 僕はコーヒーを口にした。
 昨日の余韻が目の前を駆け回っている。ふとした笑いや、ありそうもないビッグマネーの話、つけ回した女の尻や、ゲイにおごられたラムコーク、いつも満員のトイレ……僕はコーヒーを口にした。携帯を見ると、6回の不在着信と容量一杯の伝言メモが残されていた。
 レコードをかけようとソファーを立つと、向かいのマンションがモザイクに窓の明かりを灯していた。そのうちの一つの窓で、白人の男が上半身裸でグラスを片手に立っている。恐らくテレビでも見ているのだろう、彼の身体が色とりどりにきらめく。サッカーだろうか?いや、フラメンコを踊り出した。僕はコーヒーを口にしてレコードを回した。すぐにベリーニのオペラが部屋を包み込む。

 Compagne!

 そうそう、そんな感じだ。だが彼も負けじとバラをくわえる。僕はどうすれば?──そう、何もしないのだ。むしろ部屋の掃除を始めてしまう。なぜならスリッパのつま先に巨大な綿埃が貼りついていたから。青い夜が部屋に満ち始めたから。こんな時はわざわざハンドライトを持って部屋の隅々までワイパーをかけたり、壁のマティスを鑑賞したりする。リトグラフのスケーター「疾走」だ。近所の小さなギャラリーで惚れ込んだこの絵はしかし、不純にも購入の動機に「絵画は絵画としてのみ存在するのでなければならない。そこに思想や思い入れが介在する余地はない」という彼の言葉を含んでいた。作者が表現するのではない、作品が表現するのだ。──現に、彼の描線はハンドライトの光の中で象徴と無意味との間を行ったり来たりしている。赤と白との境界が、反発したり、時として慣れ合ったりする。そのことこそ重要なのだ。この絵はあらゆる部分が生きている。生々しく息づいたり、一瞬、鼓動したりする。「だれだ?!」と光を向けても、そこに誰もいないのと一緒だ。

 携帯電話が鳴り響いた。僕はレコードが止まっているのに気が付いた。