jank
2002年 木戸隆行著
jank2 投稿者:木戸隆行 投稿日:11月26日(火)01時12分39秒
とまあ「ジャンク」と何度も書くのも飽きたのでアルファベットにしてみたり、しかもそれがjunkのスペルミスだったり、なおかつ気付きながら直さなかったり、そういうことがまた魅力なわけで、例えばaさんが言ったように「日本のデザインは1mm左揃えになってないからダメとか、そういうところしか見れないからダメなんだよ」という言葉に妙に共感したりする。光が足りないよ、という声が空き地に積まれた土管のどれかから聞こえてきて、僕はキョロキョロしながらも、頭の中では今朝すれ違った女の、両手を突っ込んだ黒いコートのことを急に思い出したりする。耐えがたいほど突然想い焦がれたり、それでいて道草をする京都の少年のようにきれいさっぱり置き去りにしたりする。そんな僕が好きでついて来るネパール風の民族衣装を着た女が、隙あらばこの頭に巻き付けようと、ターバンを両手のあいだにたらしている。
3 投稿者:木戸隆行 投稿日:11月26日(火)01時17分57秒
僕はそんな危機を感じながらも、日々ありそうで実は一切何もない巨大な成功、ビッグマネーや見たこともない美しい言葉のなかを、まったく見当違いの方法で追い求めている。道だ。まるでこれはかつて見たことのないほどありふれた道らしい道だ。道は遠くローマに続いているが、今のところ左右には草木一本すらない、のっぺりした幾何学的な球面だ。ただ、道は途中でパリを経由する。
quatre 投稿者:木戸隆行 投稿日:11月26日(火)01時28分51秒
cinq、six、sept、huit、neuf〜cafeは恵比寿にある。プジョーの206で道なりにいくと、3軒の娼館と、3人の恋人とすれ違う。フランスでは娼婦はまだ合法だが、僕の中では永遠に合法だろう。窮屈すぎて神経が研ぎ澄まされ過ぎた千代田区のような社会合理主義の極みのような国ではここはない。例えば裸の恋人を両腕で抱えて街を歩く時、その手が乳房に触れていようと誰もお構いなしなのだ。ふとした拍子に耳にする店先のボーイの鼻歌の断片は道行く人々の頭の中で次々につなぎあわされ、最終的には一遍の壮大な協奏曲となって1日を貫く。窓から見下ろすそんな石畳の街角の午後を僕はいつの日か毎日眺めたい。それが夢であり現実だ。
5 投稿者:木戸隆行 投稿日:11月26日(火)01時46分40秒
さようなら!
という声が響き渡る閑散とした街角を眺めながら、1日中飛びっぱなしのレコードの針がそれでも盤に着地するように、僕は夕焼けを眺めるだろう。取り立てて美しくもない、だが常に終幕の神秘性を帯びているような太陽の幕引きを。だが誰が言ったか忘れたが、観劇とは見るものでもなく、まして演じるものでもなく、まさしくそこに生きることなのだ。たぶん間違っているが、少女たちが一本の大木の周囲を廻り続けている限り、人が致命的に間違えることもない。人には何が大切なのだろう?ぽつんと立っている鉄塔に、何が必要とされているのだろう?後ろめたい気分と誰でも受け入れられそうな開放的な気分。まるですねた息子/娘の集団であるかのような日本にいる日本人。根を下ろしたオレンジの木。チクチクするパイナップル畑。赤土の道。それでも僕がいるのはやはりこんな街角、娼婦のいる街角だ。女たちのいやらしい笑う唇だ。あの、笑っているとも執着しているともつかない歩いている男たちの目つきだ。腰を抱く力強い手だ。そしてまた、臆面もなく少年のそばに座り込み、道ばたの何ものかをもてあそぶ少女のおさげだ。
とまあ「ジャンク」と何度も書くのも飽きたのでアルファベットにしてみたり、しかもそれがjunkのスペルミスだったり、なおかつ気付きながら直さなかったり、そういうことがまた魅力なわけで、例えばaさんが言ったように「日本のデザインは1mm左揃えになってないからダメとか、そういうところしか見れないからダメなんだよ」という言葉に妙に共感したりする。光が足りないよ、という声が空き地に積まれた土管のどれかから聞こえてきて、僕はキョロキョロしながらも、頭の中では今朝すれ違った女の、両手を突っ込んだ黒いコートのことを急に思い出したりする。耐えがたいほど突然想い焦がれたり、それでいて道草をする京都の少年のようにきれいさっぱり置き去りにしたりする。そんな僕が好きでついて来るネパール風の民族衣装を着た女が、隙あらばこの頭に巻き付けようと、ターバンを両手のあいだにたらしている。
3 投稿者:木戸隆行 投稿日:11月26日(火)01時17分57秒
僕はそんな危機を感じながらも、日々ありそうで実は一切何もない巨大な成功、ビッグマネーや見たこともない美しい言葉のなかを、まったく見当違いの方法で追い求めている。道だ。まるでこれはかつて見たことのないほどありふれた道らしい道だ。道は遠くローマに続いているが、今のところ左右には草木一本すらない、のっぺりした幾何学的な球面だ。ただ、道は途中でパリを経由する。
quatre 投稿者:木戸隆行 投稿日:11月26日(火)01時28分51秒
cinq、six、sept、huit、neuf〜cafeは恵比寿にある。プジョーの206で道なりにいくと、3軒の娼館と、3人の恋人とすれ違う。フランスでは娼婦はまだ合法だが、僕の中では永遠に合法だろう。窮屈すぎて神経が研ぎ澄まされ過ぎた千代田区のような社会合理主義の極みのような国ではここはない。例えば裸の恋人を両腕で抱えて街を歩く時、その手が乳房に触れていようと誰もお構いなしなのだ。ふとした拍子に耳にする店先のボーイの鼻歌の断片は道行く人々の頭の中で次々につなぎあわされ、最終的には一遍の壮大な協奏曲となって1日を貫く。窓から見下ろすそんな石畳の街角の午後を僕はいつの日か毎日眺めたい。それが夢であり現実だ。
5 投稿者:木戸隆行 投稿日:11月26日(火)01時46分40秒
さようなら!
という声が響き渡る閑散とした街角を眺めながら、1日中飛びっぱなしのレコードの針がそれでも盤に着地するように、僕は夕焼けを眺めるだろう。取り立てて美しくもない、だが常に終幕の神秘性を帯びているような太陽の幕引きを。だが誰が言ったか忘れたが、観劇とは見るものでもなく、まして演じるものでもなく、まさしくそこに生きることなのだ。たぶん間違っているが、少女たちが一本の大木の周囲を廻り続けている限り、人が致命的に間違えることもない。人には何が大切なのだろう?ぽつんと立っている鉄塔に、何が必要とされているのだろう?後ろめたい気分と誰でも受け入れられそうな開放的な気分。まるですねた息子/娘の集団であるかのような日本にいる日本人。根を下ろしたオレンジの木。チクチクするパイナップル畑。赤土の道。それでも僕がいるのはやはりこんな街角、娼婦のいる街角だ。女たちのいやらしい笑う唇だ。あの、笑っているとも執着しているともつかない歩いている男たちの目つきだ。腰を抱く力強い手だ。そしてまた、臆面もなく少年のそばに座り込み、道ばたの何ものかをもてあそぶ少女のおさげだ。