愛を売る女
1999年 木戸隆行著
個展「LOVE CRAZY Installation」展示作品
個展「LOVE CRAZY Installation」展示作品
この町に、愛を売る女がいる。名前はジーン。浅黒い肌と艶やかな黒髪、なにより、形容しがたいとされる美しい肢体は噂に名高い。それだけならよくある話だが、彼女の特異なところは愛を売るというところにある。
一口に愛と言っても博愛から性愛まで多種あるが、ジーンの売る愛というのは性愛に限らない、恋愛対象に向けられる全ての愛のことらしい。
一般に、コールガールからは性愛しか買えない。彼女たちは他の愛を売ることを巧みに避けることで、私的恋愛の可能性を保とうとする。だが、ジーンはそれを売ると言う。
私は興味を持った。いや、正確には、疑いを持った。そして実際に彼女に接触してみることにした。
ホテルの一室で待つこと二十分。ベルが鳴ってドアを開くと、彼女は噂通りの、いや息を飲む美しさで、気高い眼差しで、そこに立っていた。
「いくらの愛にする?」
「……金は余計に払う。取材をさせて欲しい」
ジーンは背を向けた。「私は取材されるために来たんじゃないわ」
「待ってくれ」私はジーンの手をつかまえた。「愛し合いたいんだ。だから、私は君のことを知りたい、自然なことだろう?」
私はジーンの手に二十万握らせた。しばらく沈黙があった後、リビングのチェアーに互いに腰かけ、私は早速彼女に問いをぶつけた。
相場は?
「そうね……最近は……だいたい、一晩4、50ってとこ。でも10万以下は断わってる。愛せないから」
愛を売るというのは本当?
「からかってるの?」
愛とは売れるもの?
「売れる。だってこうして現に、私は愛を売っているもの。それを愛じゃないって言う人もいる。でもこれが愛じゃなきゃ、なんなの?私は紛れもなく、愛を売ってるわ」
愛とは?
「愛は愛よ。愛は愛以外じゃない」
愛を売ることに抵抗はない?
「ない。愛ってこの世の中でいちばん価値のあるものでしょ?だから、いちばん売らなくちゃいけないものだと思う」
一番価値があるから売ってはならないものだとは思わない?
「思わない。いちばん価値のあるものこそ、売るべきものだと思う。私にとってそれは愛」
どんな人でも愛せる?
「愛せる。私はプロよ?」
値段によって愛を変える?
「もちろん。100万なら100万なりに愛すし、200万なら倍だけ愛すわ」
愛することに、倍とかそのような強度がありえる?
「ないって言うの?」
じゃあ具体的に、百万と二百万とではどう違う?
「気持ち(笑)。じゃあ聞くけど、具体的な愛ってどんなもの?体位とか?贈り物の値段とか?」
今までの最高額は?
「1000万」
その人にはどんな愛し方をした?
「首をしめたり、かみついたり、つき飛ばしたりした。その人が私じゃないことに腹が立ったから」
客はどんなことを望む?
「ちょっと高級なコールガール感覚が多い。でも高い客ほどセックスを求めないわね……そう、このあいだおかしな客がいたわ。テーブルに20万投げ出して、俺を愛してるなら背中を押してくれ、って窓枠にのぼったの。風のない夜だったわ、少しもカーテンが揺れてなかった。……でも私は20万の愛じゃそんなこと受け入れられないから、すぐに断った」
一千万なら?
「少し考えてから、断ったと思う」
騙してる感覚は?
「しつこいわね。私は騙してなんかない、愛してるわよ」
子供ができたらおろす?
「産むわ。愛した人との子供だから」
父親と暮らす?
「暮らさない。父親じゃなくて、客よ?」
矛盾していない?
「してないわ。だって子供ができるのは愛しあってるときだけど、産むのは他人に戻ってるときでしょう?」
父親が子供に会いたいと言ったら?
「会わせる必要なんて、ある?他人同士なのよ?でも客としてそういう愛の形を求められたら考えるわ。それでもし会わせるとしても、時間が過ぎたらただの他人に戻るけどね」
子供は可哀相じゃない?
「子供はいつだって不幸な存在よ」
他人事のように言うけれど、不幸にするのは君だろう?
「そうよ。大人が、親が、子供を不幸にするの。永遠の真理だわ」
幸せにしてあげようとは思わない?
「おろせと言うの?」
ジーンが笑った。それ以上の問いは不要だった。
「じゃあ、実際に愛してみてくれ」
嘘ではなかった。まさに愛し合っている、そういう感じだった。すまない、形容のしようがない。
数カ月後、私は同じホテルの同じ部屋で、ベルが鳴るのを待ちながら、あの時書いた記事を読み返していた。
もし私があの時本当に愛を感じていたなら、私は愛を買ったことになる。いや、現に私は愛を感じていたのだから、彼女は本当に愛を売ったのだ。
あれを愛でないと言うのなら、私は愛というものを少しも知らない。いや、愛のアマチュアである私には愛について語る資格などないかもしれない。ただ言えるのは、例えばプロの画家がこの世に一枚しかない自分自身の作品を売るように、彼女もまた愛を売ったということである。そしてそれを裏付けるように、あの凄惨な事件は起こったということ……
私の部屋のベルが鳴った。私はベッドから起きあがり、今日もまた満たされないドアを開く。
一口に愛と言っても博愛から性愛まで多種あるが、ジーンの売る愛というのは性愛に限らない、恋愛対象に向けられる全ての愛のことらしい。
一般に、コールガールからは性愛しか買えない。彼女たちは他の愛を売ることを巧みに避けることで、私的恋愛の可能性を保とうとする。だが、ジーンはそれを売ると言う。
私は興味を持った。いや、正確には、疑いを持った。そして実際に彼女に接触してみることにした。
ホテルの一室で待つこと二十分。ベルが鳴ってドアを開くと、彼女は噂通りの、いや息を飲む美しさで、気高い眼差しで、そこに立っていた。
「いくらの愛にする?」
「……金は余計に払う。取材をさせて欲しい」
ジーンは背を向けた。「私は取材されるために来たんじゃないわ」
「待ってくれ」私はジーンの手をつかまえた。「愛し合いたいんだ。だから、私は君のことを知りたい、自然なことだろう?」
私はジーンの手に二十万握らせた。しばらく沈黙があった後、リビングのチェアーに互いに腰かけ、私は早速彼女に問いをぶつけた。
相場は?
「そうね……最近は……だいたい、一晩4、50ってとこ。でも10万以下は断わってる。愛せないから」
愛を売るというのは本当?
「からかってるの?」
愛とは売れるもの?
「売れる。だってこうして現に、私は愛を売っているもの。それを愛じゃないって言う人もいる。でもこれが愛じゃなきゃ、なんなの?私は紛れもなく、愛を売ってるわ」
愛とは?
「愛は愛よ。愛は愛以外じゃない」
愛を売ることに抵抗はない?
「ない。愛ってこの世の中でいちばん価値のあるものでしょ?だから、いちばん売らなくちゃいけないものだと思う」
一番価値があるから売ってはならないものだとは思わない?
「思わない。いちばん価値のあるものこそ、売るべきものだと思う。私にとってそれは愛」
どんな人でも愛せる?
「愛せる。私はプロよ?」
値段によって愛を変える?
「もちろん。100万なら100万なりに愛すし、200万なら倍だけ愛すわ」
愛することに、倍とかそのような強度がありえる?
「ないって言うの?」
じゃあ具体的に、百万と二百万とではどう違う?
「気持ち(笑)。じゃあ聞くけど、具体的な愛ってどんなもの?体位とか?贈り物の値段とか?」
今までの最高額は?
「1000万」
その人にはどんな愛し方をした?
「首をしめたり、かみついたり、つき飛ばしたりした。その人が私じゃないことに腹が立ったから」
客はどんなことを望む?
「ちょっと高級なコールガール感覚が多い。でも高い客ほどセックスを求めないわね……そう、このあいだおかしな客がいたわ。テーブルに20万投げ出して、俺を愛してるなら背中を押してくれ、って窓枠にのぼったの。風のない夜だったわ、少しもカーテンが揺れてなかった。……でも私は20万の愛じゃそんなこと受け入れられないから、すぐに断った」
一千万なら?
「少し考えてから、断ったと思う」
騙してる感覚は?
「しつこいわね。私は騙してなんかない、愛してるわよ」
子供ができたらおろす?
「産むわ。愛した人との子供だから」
父親と暮らす?
「暮らさない。父親じゃなくて、客よ?」
矛盾していない?
「してないわ。だって子供ができるのは愛しあってるときだけど、産むのは他人に戻ってるときでしょう?」
父親が子供に会いたいと言ったら?
「会わせる必要なんて、ある?他人同士なのよ?でも客としてそういう愛の形を求められたら考えるわ。それでもし会わせるとしても、時間が過ぎたらただの他人に戻るけどね」
子供は可哀相じゃない?
「子供はいつだって不幸な存在よ」
他人事のように言うけれど、不幸にするのは君だろう?
「そうよ。大人が、親が、子供を不幸にするの。永遠の真理だわ」
幸せにしてあげようとは思わない?
「おろせと言うの?」
ジーンが笑った。それ以上の問いは不要だった。
「じゃあ、実際に愛してみてくれ」
嘘ではなかった。まさに愛し合っている、そういう感じだった。すまない、形容のしようがない。
数カ月後、私は同じホテルの同じ部屋で、ベルが鳴るのを待ちながら、あの時書いた記事を読み返していた。
もし私があの時本当に愛を感じていたなら、私は愛を買ったことになる。いや、現に私は愛を感じていたのだから、彼女は本当に愛を売ったのだ。
あれを愛でないと言うのなら、私は愛というものを少しも知らない。いや、愛のアマチュアである私には愛について語る資格などないかもしれない。ただ言えるのは、例えばプロの画家がこの世に一枚しかない自分自身の作品を売るように、彼女もまた愛を売ったということである。そしてそれを裏付けるように、あの凄惨な事件は起こったということ……
私の部屋のベルが鳴った。私はベッドから起きあがり、今日もまた満たされないドアを開く。