Original Contents: © LOGOS for web (http://www.logos-web.net/)



MadarA

1999年 marimos
「SPEAK Internet Division」掲載作品
 ∞1∞

 わたしは、二度と目覚めません様にと、何度も何度も祈りを捧げ、一体誰に何に祈っているのだろうと考え始める頃、眠りにつくようだ。また今日も目覚めてしまった自分にあきれてしまう。
 毎朝10:00に目を覚まし、シャワーを浴びてミネラルウォーターを飲み、メイクはせずに髪だけはドライヤーでていねいに乾かしStussyのキャップを深くかぶり、何も持たずに図書館へと向かう。どれくらい、この行動を繰り返しているのか、思い出そうとするが、いつも疲れて途中でやめてしまう。
 坂を登り切り、木々で鬱蒼とした公園内を少し歩くと、その図書館にたどり着く。そういえば、蝉の鳴き声がしない事に昨日も気づいた。土や草の青臭さも幾分弱まったように思える。もう何度もそう感じた気がする。
 一度でいいのに……
 わたしは呟く。


 ∞2∞

 哲学書、心理学の本が整然と並べられた3階へ行く。5階に食堂や喫煙室などがあるが、それ以外のフロアの事は忘れてしまった。いつもように窓際の公園内を見下ろせる机に座る。わたしは、ここに来たからといって必ず本を読むわけでもなく、ただぼんやりすることも多い。窓の下に広がる緑たちを眺めていたり、本にのめり込む人達を観察したり、自分の手の平のしわを何時間も見続けてみたり、目的など決めているわけではない。この場所に集まる人々は自分の目的に忠実に集中しているので、わたしがどれだけの時間を手の平のしわにさいていても、気にも留めないし、留めたとしてもすぐに手元の本に神経を戻していく。
 わたしはある夢を見るようになってから、ここへ毎日通うようになった。母猫が産まれたばかりの自分の仔を、ランランとした瞳をしながら、バキバキと音を立てて食べてしまう夢を2、3日置きくらいに見る。バキバキと細い骨が親猫の口の中で砕ける音は、目覚めてからも耳の後ろ辺りにこびりついて、なかなか離れない。誰かにその話をすると、『猫は、自分の産んだ仔に人間の匂いなんかがついていると、危険を感じて、取られるくらいならって、喰べてしまうらしいよ』


 ∞3∞

 その話を聞いたのはいつだったか多分、夢の分析についての本を探していた時、髪が腰まである月のように青白い顔の男が近づいて来て、血の色ってどんな色かしっている?薄笑いを浮かべながら聞いてきて、黒と黄色のまだらと答えたら、だまったままだったから、あなたのお母さんのお尻の穴の色をしっていますか?と尋ねたら、薄笑いはぴたりと止まって、ますます青白くさせた顔に汗が噴き出してきて、こめかみから頬に到達するまで、瞬きもせずに眺めていたら、男は後ずさりしながらわたしに背を向けることなく、本棚の角まで行くと急に走ってどこかに行ってしまった日だと思う。
 ジーンズの後ろポケットからバイブレーションを感じて携帯電話を取り出すと、EWEFの四文字が浮かび、小さな待ち受け画面が点滅していて、今日が金曜日だった事に気づいた。
 EveryWeek
 EveryFridayの略でEWEFとメモリしてある。毎週金曜日に会う人からのコールだ。
 今日、6時にあの場所にいてくれ、それだけ告げるとすぐに切れた。
 わたしは名前でケータイにメモリしている人はほとんどいないと思う。人の名前を憶えるのはあまり得意ではないし、呼ぶこともないので、特に問題も無かった。自分の名前も気に入らないので、リカとかレイコとかアヤとか適当に呼んでもらうこともあったが、男の人には<君>と呼んでほしいと必ず伝える。
<君>と呼ばれると何故だか、不安のような感覚が和らぐ気がした。


 ∞4∞

「君は最近逢う度顔色が悪くなっているよ。僕といる時だけでも、しっかり食事してくれないか」
 45才、B型、広告代理店部長、妻子持ち、左ききの彼は、いつも同じ事を言っている。キレイなレストランでドレスアップしたわたしに、わざわざそんな事を言う為に連れて来たのだとしたら、あの猫の夢より更に悪夢だと思う。新しいドレスなんて買わなければ良かったと後悔し始め、向かい合う彼から視線をはずした。白ワインを一本空けて、頭がぶよぶよになった頃、彼はまた、ほとんど食べなかったな、今日も……ウエイターがさげていく皿の上を眺めながら呟いた。それから必ず、僕は君が大切なんだ。どんなことがあっても、僕から離れていく事はないんだよ。綺麗で若い君を拘束するのは、悪いと思っている。君が逢いたいと言ってくれても、家庭や仕事があるからそうできない事もあるけど、こうして逢っている時は、本当に本当に、大切にしたいんだよ、と言うのはもう、彼の癖だろう。
 会いたいなんて電話をする女じゃないのを知っていて、わざわざ口に出すところが、嫌いにならずに済んでいる理由なのかも知れない。


 ∞5∞

 何度も<付き合う>という意味がわからないので、そうする事ができないと言ったが、彼は聞き入れず、わたしはじゃあ、お付き合いするということでいいです、となってから、彼は、わたしの顔を足で踏みつけるようになった。スベスベしていて滑らかな足だったから初めから抵抗しなかった。
 その行為は、わたしの神経に特に何の影響もなかったし、わたしがとても気に入っている、スペインに行った時に仕立てたという白と薄いブルーの細い線でできている、それまで触れた記憶の無い触り心地のシャツを彼が着ている日は、わたしは気分が良くて、すすんで顔を踏んでほしい、と言うこともあった。好きか嫌いか、よくわからなかったが、そうされる事で何かが落ち着くような気がしていた。わたしを裸にした時、左乳首の横にある大きなアザを見つけ、これは何だ、と彼は聞いてきて、あの人に会ったからだと答えると、「どうして、またあの男と会うんだ」これまで見てきたどんな悲しい顔より、悲しい顔でそう言った。


 ∞6∞

 彼と出会う2年程前から、月に2、3度会っていた男がいて、しばらく海外へ行っていたが帰国していたらしく、わたしは呼ばれて男の滞在先のホテルへ向かい、ドアを開けるとすぐに「オトコはできたのか?」お付き合いしている人がいます、と答えると物凄い力で押し倒され、左胸の横を噛みつけられた。
「お前は俺のモノだろ?わかるだろ?」
 男は言い続けながら、どんな事をしていてもいいから、その男だけには、会わないで欲しい、左ききの彼は、初めて逢った日からずっとそう言っていた。
 どうして、また、会ったんだ、もう一度尋ねられたがわからない、としか言い様が無く、お互い口を閉ざしてから、ベッドの上で長い時間が過ぎ、だけど、僕は約束したよな。何があっても、僕から去っていくことはないって、わたしの髪を撫でながら、その言葉を繰り返し、きつく抱きしめてきた。


 ∞7∞

 午前1時には、チェックアウトするのが決まり事のようになっていたが、朝方までわたしを抱いたまま、彼は眠り続けた。わたしは、ようやく、アザをつけた男と眠る時だけは、二度と目覚めませんようにと、祈りを捧げないことに彼の寝顔を見ながら気付いていた。わたしに、お尻を高く突き上げさせて、革のベルトとバラムチを両手にかかげ、「どっちがいいんだ、どっちでぶたれたいんだ、はっきりしろ」と怒鳴っていたあの男とだけは、眠りにつくまでの時間など存在せず、気がつくと朝がきていて、目が覚めているだけだった。


 ∞8∞

 わたしは二度と眠らないことに決めてから、何日経っているのかがわからない。
 バキバキ仔猫の骨が噛み砕かれる夢を見なくなった変わりに、黒い煙が現れるようになった。それは、冷蔵庫の中だったり、鏡の中だったり、様々な所に潜んでいる。それでもわたしは、午前10:00には、シャワーを浴び、ミネラルウォーターを飲み、髪だけはきちんと乾かし、Stussyのキャップを深くかぶり、坂を越え、緑の中の図書館へ通い続けている。
 坂を登る時の、心臓の速さにも、もう、慣れた。


 ∞9∞

 この大きな建物だけがわたしが発狂しているのか、していないのかを判断できる場所なんじゃないかと思う。窓際の席に向かい、歩き始めた時、腕を掴まれ振り返ると、月のように膨らんだ顔をした髪の長い、あの男がいた。
 君、が、言った通り、く、黒と黄色のまだらの血、血が出るのか、た、確かめようとお、思うんだ、、、、
 変なところで言葉を区切るのはどうしてなんだろう。
 お、お願いだから、一緒にみ、見てくれないか、、、
 驚くほど小さな声で男は言った。もしかしたら、声とは全く別の方法で伝えているのかも知れない。わたしには、声を発する力はなくて、唇の端を少しだけ上げて、微笑みのようなものをつくりだした。図書館を出て、公園の中を通り抜け、鴨が泳いでいる池の近くの公衆便所に連れて行かれ、鼻をつくアンモニアの匂いの中、男の後ろの壁にあの黒い煙がゆらゆらしながら、ゆっくりと膨張してゆくのを眺めていた。


 ∞x∞

 青白い顔の男は、顔だけじゃなく、Tシャツまで汗でべっとりはりついている。わたしのシャツをまくし上げ、ど、どっちがいい?右、ひ、ひだりどっちがいい?わたしが答えずにいると、あ、そう、ひ、左がいいよね、、
 ジーンズのポケットから、カッターの刃だけを取りだし、わたしの左手首に押し当て、ホントに、黒と黄色のまだらの血、で、出るよね、、
 カッターの刃は引かれ、嫌な感じのする痛みと同時に、熱いものが滴り落ちてゆき、脈のどくどくいう音が、狭い男子便所の中でこだましている。
 ホ、ホントだ!まだらだ!黒と黄色のまだらの血が出たよ!!
 歓喜する男の後ろの黒い煙は、小さくなり続け、カラス達の鳴き声が絶叫に変わっていった時、血の色は、黒と黄色のまだらと答えたのは、左ききの彼がくれた本に書かれていた蛇の模様だった事と、左胸のアザは、わたしが自分で殴りつけてできたものだったんだと思い出した。