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夕焼けの虹

2000年 木戸隆行
東京アンダーグラウンド誌「SPEAK」2001年5月号 掲載作品
 目が覚めると頭があまりにも芸術的だったので、リビングにあるアームチェアーのうえに上ったりもぐったり動かしたりしてみると、ふと、床に天窓の形をした光の兵隊が一人、侵入しているのに気がついた。僕はすぐさま彼をひっとらえて詰問し、CDを積み上げて作った独房に押し込んだ。彼はまだ若かった。彼はわけなく夕焼けの虹の存在を打ち明けた。僕はいそいで部屋着にトレンチコートを羽織り、独房にタバコとライターを与えると、真相を確かめに部屋を出た。その日は風の強い日で、町中の街路樹や窓に干されたブラジャーが魚のようにひるがえっていた。
 日はまだ高かった。
 僕はまず雲を作ることから始めた。通りに面した輸入雑貨屋から考えられないほど強力な水素ガスボンベを買い、裏手にある中華料理屋から画期的な中華鍋を不利な条件で借り出した。また、官公庁に電話して、決して枯れることのない携帯用の蛇口の使用許可を時限つきで取り付けた。
 それらを持ってガリレオの実験した有名なあの塔のてっぺんまでのぼり、さっそく雲の制作に取りかかった。作業は思ったよりも順調にはかどった。白い半透明の広がりが、みるみる空へと昇っていった。ただ計算外だったのは、しばしば旧知の友人がやってきては、僕をアンドレ・ブルトンふうの女の両腕でできた投げ縄で捕らえようとしたことだった。それらを身のこなし素早くかわしながら作業を続けること三時間、ついに頭上にどす黒い雲を作り出すことに成功した。見下ろすと、街は闇に覆われていた。そのなかの一つの屋根を雷光が鋭く突き刺した。屋根はいとも簡単に砕け散り、その石でできた内部をあらわにした。屋上にいた観光客たちは、それを見るなり、おずおずと僕を見つめながら後退りし、階段に着くなり先を争って駆けだした。なかには途中でつまずき、一階まで転がり落ちるものもいた。
 雨が降ってきた。雨はぽつぽつと、やがて激しく降り注いだ。辺りには町中の屋根を打つ雨音が響き渡り、また、近くの軒蛇腹に駆け込む足音が混じり合った。昼下がりの恋人たちは寝室の窓から裸の肩をカーテンで包み隠しながら空をうかがった。あるカフェの店先では巻毛のボーイが空を見上げてタバコに火を点けた。雨はすぐに降りやんだ。
 雲が晴れた頃にはすっかり日は傾いていた。太陽は吐きそうなほど赤く染まっていた。それから空も。町は赤と黒の二つに分類された。……僕はじっと見つめた。あらゆる方角を。長い間、じっと。
 僕は目を疑いたくなるような怒りに包まれながらきびすを返した。周囲二十メートルを焼き尽くすほどの炎を身にまといながら町を疾走した。ゆうに二百人を超える市民を黒焦げにし、部屋に戻ると、すでに捕虜は脱獄していた。そこには手をつけていないタバコとライター、それから、ぼんやりと光る月のベールが残されていた。僕は膝から崩れ落ち、愕然とした手でそれを拾いあげた。ベールは広げた手のひらでゆっくりと消えていった。見ず知らずのいとしい香りをかすかに残して。