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2003年 木戸隆行
東京アンダーグラウンド誌「SPEAK」2005年12月号 掲載作品
 赤いもの──そう、それがキーワードかもしれない。赤いサンダル、赤いターバン、赤らんだかかと、赤らんだ膝頭──それら赤いものだけが僕を美しく欺いてくれたのだ。魅了したり、蔑んだり、迫ったり、詰ったり、あるいは忽然と消えたり、そのようにして彼らは、いや彼女たちは、僕からあらゆるものを引き出しては、あらゆるものを押し込んで行った。
 おかげで僕ははき違えた闘牛のように常にあてもなく恋焦がれ、さまよい、交渉し、線路の脇、フタの開いたマンホール、深夜の雑木林、あるいは、誰もいないカフェのアームチェアーに落ち着いてしまう。
 ボーイがすぐそばにやって来てこう耳打ちする。
「ご注文は?」
 僕は大仰に、あるいはごく控えめにこう答える。
「カフェオレ──間違えないでよ、カフェラテじゃなくて、カフェオレだよ」
 するとボーイは頭を下げたまま後ずさりで厨房へ戻り、ことのほか香りの良いコーヒーを入れて出てくると、物惜しそうにテーブルに差し出す。音もなく。僕はその様子から緊張のために震えた指でカップを取ると、やはり音もなく唇をつける。ボーイはそのまま、僕のコーヒーに釘付けのまま、手探りで隣のイスの背をつかむと、前のめりになって座りこむ。僕は知らぬ振りをする。
 後のことは簡単だ。二人で昼下がりのテラスから道行く人を観察しつつ、何か二言三言話したり、その後まったく話さなかったり、服を着た裸を想像したり、老後を思い浮かべてみたりする。ほう、とか、なるほどね、とかどちらかが言っても、面倒なので問いつめない。客が来ると一人になって、しばらくすると戻ってくる。店のエアコンは壊れていて、扇風機の音が響き続ける。

 ──日常、これが日常だとしたら?

 僕は金も払わず(いや、実際には正確に払って)カフェを勢いよく飛び出した。だがすぐに歩き出すのだ。なぜなら一足のミュールが音を立ててすれ違ったから。赤いスカートが横ざまにエロティックな鋭い二本のしわを立てたから。僕は何をしているのだろう!哀れにも宛てなく夜をさまよい、いや人を求めて夜を転がり、踊り、目配せをし、そうして決まりきった明け方の空を見上げることになる。路地裏で見覚えのある顔たちがおぼつかない足取りで家路を急ぐ。グラウンドだ。周囲のどの建物に付随するか分からない、フェンスに囲まれて入れないグラウンドだ。僕はフェンスに顔を押し当て、白々として行く朝もやの空を見上げる。朝日だ。その瞬間、もやもやとした朝は光となって僕をまるごとかき消してしまう。